
雛祭り 2005年3月号
〜雛祭りの始まりと由来〜
<雛祭りの始まりは、古代中国で>
上巳(じょうし)=3月初めの巳の日に水辺に出て不詳を除くための禊(みそぎ)祓(はらえ )を行い、宴会を催してお祝いをしたのが始まりです。しかし、魏の時代より3日となったそうです。日本では、祓(はらえ)の思想で、雛祭りが行われるようになりました。
祓(はらえ)の道具として人形(ひとがた)がありました。人形に不浄を託して川や海に流して、災厄を祓うという風習がありました。その祓え用の人形が、天児(あまがつ)・這子(ほうこ)というものでした。その他に“ひひな遊び”と言うお人形がありました。“ひひな”は3月3日の日とは関係なく幼女の遊び道具として存在しました。雛人形は、“ひとがた”と“ひひな”が結びつき現在の“お雛さま”が生まれました。
祓いの人形と幼女の遊び道具の人形は中世以降、次第に立派になり、捨てていた人形(ひとがた)も“飾り雛”として、江戸時代になると雛壇の雛人形となっていき、いつしか3月3日には娘の幸福を願って人形を飾る風習が伝わって行きます。
<雛人形の由来>
雛人形は、穢れ(けがれ)や災いを移して流す“人形(ひとがた)”が起源とされ、平安時代に始りました。当時の雛人形は、紙や土で作った立ち雛で、座り雛になったのは室町期頃からです。3月3日の桃の節句に雛人形を飾るようになったのは、江戸時代以降となります。
〜歴史センター資料館の享保雛(きょうほびな)〜

江戸時代の享保年間(1716〜1736)に流行した雛人形。
通常の雛のサイズよりも大きいのが特徴です。 45cm〜60cmくらいの大型雛。
この地方では旧(4月3日)で雛人形を飾るため、まだ飾っている家がほとんどないのですがこちらの“食い処 青柳”さんでは、お料理と一緒にお雛さまも楽しめるように早くから飾っています。”和“のたたずまいのお店を入ると、一番奥の座敷のお部屋に飾ってありました。
“大正雛”は、その名の通り、大正時代に作られたもので(ご主人曰く、お店に飾ってあるものは明治後半のもの)現代の雛よりも小さくかわいらしいものでした。
“食い処 青柳”さんでは、完全予約制で、寿司・魚料理・山菜郷土料理などをいただけます。4月いっぱいくらいは、お雛さまと一緒にお食事を楽しめます。ぜひ足を運んでみてください。国道13号線を山形方面から秋田方面に向かい、新庄市内から車で30分くらいです。
昔、携帯食物として持ち歩き、変質しないため、広く愛されました。固くなるとストーブの上などで焼いて食べます。塩・みそ・黒砂糖などの味付けがあり、クルミ入りのものもあります。
ひな祭りのシーズンは、米を粉にし、各家庭で作ります。近所のお雛さまを観に行く際は、手作りのくぢら餅を持ち寄り、味比べをしながらお茶とお雛さまを楽しみます。最上地方ではお土産として売られています。
- “くじら”と言えば誰もが海にいるくじらを想像します。名前の由来は、やはりくじら肉に似ていたからその名がついたと言う説もあります。しかし、鯨と間違えないようにするため、“くじら”ではなく、“くぢら”としたと伝えられています。
リポート:郷夢山形営業スタッフ
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